選択の幅が広がるのは良い事だ(だ?)
かっぱえびせんに普通のやつだけじゃなくてウメ味があるとか、
家までの帰り道が、普段使ってる道だけじゃなくてちょっと遠回りだけど商店街を抜けて行く行き方があるとか、
冷蔵庫の中にビールだけじゃなくてワインもあるからどうしようかな、とか、
色々と選べるのは嬉しい。生活が豊かになった気さえする。
おそらく、基本的に選択の幅はないよりあったほうが良い。それは、人生においても同じだと思う。
少し前まで(未だに解消は仕切れていないが)、女性には結婚・出産のあと多くは専業主婦にほぼ自動的になっていたが、今では大変ではあるけれども仕事を続ける選択肢がある
出産はしたいと思っても出来ないこともままあるが、したくないという選択は以前より取りやすい気がする
結婚相手も自分で選ぶことの出来る人が多くなってきた
結婚自体もするかしないかある程度は決められる
仕事もある程度選べるし、学歴も、行く学校(能力に左右されることはあるが)も決められる
私達のおばあさん、ひいおばあさんぐらいの人たちは小学校程度を卒業したらあとは行かせてもらえない人たちが少なからずいたと聞いている。行きたくても行けなかったという。
それから比べたら、ほんとうに幸せな世の中。
でも、その分、一つ一つの岐路で考え、悩み、迷い、もがき苦しむ。学校で悩み、進路で迷い、就職活動でもがき苦しみ、職場で悩み、結婚で考え、出産で迷い、キャリアでもがき苦しむ。その間は、自分が幸せだ、なんて思うことが出来ない。現実逃避したくなることもある。
人間は、自分勝手だなぁ。私は、自分勝手。
かっぱえびせんに普通のやつだけじゃなくてウメ味があるとか、
家までの帰り道が、普段使ってる道だけじゃなくてちょっと遠回りだけど商店街を抜けて行く行き方があるとか、
冷蔵庫の中にビールだけじゃなくてワインもあるからどうしようかな、とか、
色々と選べるのは嬉しい。生活が豊かになった気さえする。
おそらく、基本的に選択の幅はないよりあったほうが良い。それは、人生においても同じだと思う。
少し前まで(未だに解消は仕切れていないが)、女性には結婚・出産のあと多くは専業主婦にほぼ自動的になっていたが、今では大変ではあるけれども仕事を続ける選択肢がある
出産はしたいと思っても出来ないこともままあるが、したくないという選択は以前より取りやすい気がする
結婚相手も自分で選ぶことの出来る人が多くなってきた
結婚自体もするかしないかある程度は決められる
仕事もある程度選べるし、学歴も、行く学校(能力に左右されることはあるが)も決められる
私達のおばあさん、ひいおばあさんぐらいの人たちは小学校程度を卒業したらあとは行かせてもらえない人たちが少なからずいたと聞いている。行きたくても行けなかったという。
それから比べたら、ほんとうに幸せな世の中。
でも、その分、一つ一つの岐路で考え、悩み、迷い、もがき苦しむ。学校で悩み、進路で迷い、就職活動でもがき苦しみ、職場で悩み、結婚で考え、出産で迷い、キャリアでもがき苦しむ。その間は、自分が幸せだ、なんて思うことが出来ない。現実逃避したくなることもある。
人間は、自分勝手だなぁ。私は、自分勝手。
大掃除をした
普段なかなかしっかりと掃除が出来ないから、かなり時間をかけてしてみた。かなり疲れたけど、気持ち良い!
最近新聞の折り込み広告のアパート情報とか見たりする。そうすると、「やっぱ80?は欲しいかなぁ」とか考えるけど、今日掃除をしながら、80?の家の大掃除をすることを考えたら、それだけで気分が萎えてきた。60?弱でもこれだけ大変なんだから、これ以上になったらどうするんだ???って感じ。
世の中の奥さんはすごい。毎日のように一人で掃除してるんでしょ??? 主婦にはなれなそう。
普段なかなかしっかりと掃除が出来ないから、かなり時間をかけてしてみた。かなり疲れたけど、気持ち良い!
最近新聞の折り込み広告のアパート情報とか見たりする。そうすると、「やっぱ80?は欲しいかなぁ」とか考えるけど、今日掃除をしながら、80?の家の大掃除をすることを考えたら、それだけで気分が萎えてきた。60?弱でもこれだけ大変なんだから、これ以上になったらどうするんだ???って感じ。
世の中の奥さんはすごい。毎日のように一人で掃除してるんでしょ??? 主婦にはなれなそう。
せんぴこ君はミョウガが好き
せんぴこ君とミョウガの出会いは、彼が日本に移住(?)してきてまだ間もないころに行った、家の近くのカフェで頼んだ和風サラダの中でだった。そのサラダは、水菜や豆腐、長ネギ、ミョウガが入っていた。
それ以来、ミョウガをスーパーで見つけると「ミョウガ食べたいな」と、飴玉を欲しがる3歳児のようなかわいいおねだりをする。
私にはミョウガは夏の野菜のイメージが大きいので、冬の間はなんとなく食べたいと思わない。一度、まだ寒さの残る時期にせんぴこ君がスーパーでミョウガを買ってきたことがあったが、なかなか使えなかった。
今日、久しぶりにいい天気で気温も高かったので久しぶりに冥加を買った。うちの冷蔵庫には豆腐と青ネギがあった。
ミョウガと青ネギを細かく切り、ダシに醤油とみりんを加えたものをかけて混ぜ、味がしみるように少し置いておいた。そしてそれを豆腐にかけたらおいしい!
今年の冷奴はこれで決まりかな。
せんぴこ君とミョウガの出会いは、彼が日本に移住(?)してきてまだ間もないころに行った、家の近くのカフェで頼んだ和風サラダの中でだった。そのサラダは、水菜や豆腐、長ネギ、ミョウガが入っていた。
それ以来、ミョウガをスーパーで見つけると「ミョウガ食べたいな」と、飴玉を欲しがる3歳児のようなかわいいおねだりをする。
私にはミョウガは夏の野菜のイメージが大きいので、冬の間はなんとなく食べたいと思わない。一度、まだ寒さの残る時期にせんぴこ君がスーパーでミョウガを買ってきたことがあったが、なかなか使えなかった。
今日、久しぶりにいい天気で気温も高かったので久しぶりに冥加を買った。うちの冷蔵庫には豆腐と青ネギがあった。
ミョウガと青ネギを細かく切り、ダシに醤油とみりんを加えたものをかけて混ぜ、味がしみるように少し置いておいた。そしてそれを豆腐にかけたらおいしい!
今年の冷奴はこれで決まりかな。
6カ国8人の生活 その8
2007年4月24日 異文化
6カ国8人の生活は書いていくうちに色々思い出してきました。まだまだ続きます。
昨日、不動産屋にちょっと触れたら、当時抱いていた彼へのマイナスの感情が色々と出てきた。あ〜、あんな人にはもう会いたくない、と思うほど、嫌な人だったなぁ。
最初に嫌だなぁ、と思ったのは、例のイタリア人失踪の時だった。彼女がいなくなって、慌てて我が家にやってきた彼(名前は当の昔に忘れました。良かった、忘れてて)は、リビングにいた私達に対して、大学の卒業証明書をこれ見よがしに見せた。法学部のだった。そして、「もし逃げたとしても必ず見つける。自分にはそういうことが出来るんだ、これを見よ」、みたいな事を自慢げに話した。
なぜ、わざわざ卒業証明書を見せたのかは全く分からないのだが、おそらく、自分は法学の知識を持ってるんだぞ、みたいな事を言いたかったんじゃないかな、と皆で話した。別に逃げも隠れもするつもりのなかった私達は、「はぁ?」という感じだったし、実際に法学部を卒業しても司法試験なんかに受かってなければ、弁護士とかの資格はないし、もし、万が一何か取っていたら卒業証明書じゃなくてその資格の合格証明書を持ってくるはずだから、逆に自分は卒業はしたけどプロの法律家にはなれませんでしたって言ってるようなもんじゃんねぇ、と笑いものにしてしまった。それぐらい、私達が嫌悪感を抱くような嫌味な言い方をしていた。
イギリスでは、9月半ば過ぎから雨量が増える。
ある日、雨がたくさん降ったときに私の部屋(屋根裏)で雨漏りがした。翌日、不動産屋に電話して、至急直してくれるように依頼した。
梨のつぶてだった。
一週間ぐらいして、また雨が降った。また電話した。いつも修理してくれる人が休暇でいなかったと言い訳をした。
翌日、私が学校に行っている間に、誰かが来た様で、「至急直す」とのメモが残っていた。
一週間経った。まだ来なかった。
日曜日、大雨が急に降ってきた。土砂降りの雨だった。外出していた私が家に帰ると、イギリス人のロブが謝ってきた。何事かと思ったら、私の部屋で雨漏りがして、その下の部屋のロブのいた部屋にまで雨が漏れてしまったので、部屋の鍵を壊して(大人数の共同生活だったため、各自の部屋の入り口に簡単な鍵を取り付けていた)中に入ったと言う。
慌てて私の部屋に行ったら、部屋の中がザァザァ降りだった。頭に来たけれど、日曜日で不動産屋は休み。
翌日、自分でもびっくりするぐらい流暢に不動産屋へ怒鳴り込みの電話をかけた。
その日の午後(!!!)、修理のおじさんが来た。
ふざけるな!そんなすぐ来れるならさっさと寄越せ!!
あ〜、思い出しただけで頭にくる。
読んでくれて、ありがとう!
昨日、不動産屋にちょっと触れたら、当時抱いていた彼へのマイナスの感情が色々と出てきた。あ〜、あんな人にはもう会いたくない、と思うほど、嫌な人だったなぁ。
最初に嫌だなぁ、と思ったのは、例のイタリア人失踪の時だった。彼女がいなくなって、慌てて我が家にやってきた彼(名前は当の昔に忘れました。良かった、忘れてて)は、リビングにいた私達に対して、大学の卒業証明書をこれ見よがしに見せた。法学部のだった。そして、「もし逃げたとしても必ず見つける。自分にはそういうことが出来るんだ、これを見よ」、みたいな事を自慢げに話した。
なぜ、わざわざ卒業証明書を見せたのかは全く分からないのだが、おそらく、自分は法学の知識を持ってるんだぞ、みたいな事を言いたかったんじゃないかな、と皆で話した。別に逃げも隠れもするつもりのなかった私達は、「はぁ?」という感じだったし、実際に法学部を卒業しても司法試験なんかに受かってなければ、弁護士とかの資格はないし、もし、万が一何か取っていたら卒業証明書じゃなくてその資格の合格証明書を持ってくるはずだから、逆に自分は卒業はしたけどプロの法律家にはなれませんでしたって言ってるようなもんじゃんねぇ、と笑いものにしてしまった。それぐらい、私達が嫌悪感を抱くような嫌味な言い方をしていた。
イギリスでは、9月半ば過ぎから雨量が増える。
ある日、雨がたくさん降ったときに私の部屋(屋根裏)で雨漏りがした。翌日、不動産屋に電話して、至急直してくれるように依頼した。
梨のつぶてだった。
一週間ぐらいして、また雨が降った。また電話した。いつも修理してくれる人が休暇でいなかったと言い訳をした。
翌日、私が学校に行っている間に、誰かが来た様で、「至急直す」とのメモが残っていた。
一週間経った。まだ来なかった。
日曜日、大雨が急に降ってきた。土砂降りの雨だった。外出していた私が家に帰ると、イギリス人のロブが謝ってきた。何事かと思ったら、私の部屋で雨漏りがして、その下の部屋のロブのいた部屋にまで雨が漏れてしまったので、部屋の鍵を壊して(大人数の共同生活だったため、各自の部屋の入り口に簡単な鍵を取り付けていた)中に入ったと言う。
慌てて私の部屋に行ったら、部屋の中がザァザァ降りだった。頭に来たけれど、日曜日で不動産屋は休み。
翌日、自分でもびっくりするぐらい流暢に不動産屋へ怒鳴り込みの電話をかけた。
その日の午後(!!!)、修理のおじさんが来た。
ふざけるな!そんなすぐ来れるならさっさと寄越せ!!
あ〜、思い出しただけで頭にくる。
読んでくれて、ありがとう!
6カ国8人の生活 その7
2007年4月23日 異文化
6カ国8人で生活をしていました。
実は、ここにはまだ出てきていない、一時的な住民があと、二人いた。二人の名前はもう覚えていないけれども、一人はスペイン人の女性、もう一人はイタリア人の女性だった。
スペイン人は、住民とはいえないのかな。契約を私と一緒に行ったが、翌日に契約の取り消しをしていた。なんだか、不動産屋にだまされたと思ったようだった。実際のところ、だまされはしなかったものの、かなりの悪徳不動産屋だったので、先見の明があったんだなぁ、なんて思う。
もう一人のイタリア人が厄介者だった。彼女は交換留学生で、スペイン人が入居を取りやめて空いた部屋に入ってきた。英語があまり出来ず、家のルールや取り決めなどを説明するのに一苦労したのを覚えている。ある日、ドイツ人のフランチェスカ、ギリシャ人のヴァンゲロス、デンマーク人のエヴァ、そして私がリビングでビデオを見ていたときにちょうど彼女がやってきて、一緒に見はじめた。その映画の中でちょっとした言葉のやり取りに、ちょっと面白いシーンがあって、私達は笑い声を上げた。そしたら彼女、目をまん丸にさせて一言。
「なんて言ったか分かったの?」
分からなかったら、見てないと思います。
どうやら、彼女は本国では英語が話せるとみなされていたのか、それなりに話せるつもりでいたようであった。だから、他の外国人留学生は彼女と同じレベルに違いないという、びっくりするような先入観を持っていたようである(この話を理解するのにもかなりの時間を要したのは言うまでもないでしょう)。
少なくとも、大学で授業を受けようと思ったら、外国人であっても多少の語学力は必要なんじゃないの???ねぇ。
そんな彼女はそれ以来私達と付き合おうとは全くせず、同じ大学のイタリア人学生とだけ付き合うようになっていった。それはそれで問題ないのだが、真夜中に男連れで帰ってきたり、夕方にシャワールーム(びっくりすることに、一つしかない!!トイレはかろうじて二つあった)を2時間ぐらい占領したりと好き放題の生活をしていた。悪いことに、文句を言おうにも言葉が通じない。。。
ほとほと呆れていたある日、私は学校に行っていたから遭遇しなかったのだが、彼女がだれかを連れて帰ってきた。彼女は直接自室に戻ったかと思うとバタンバタンと大きな音を1時間ほど立て、バタバタと階段を駆け下りる音を二度三度させ、またバタンと出て行ってしまった。
そして、彼女はそれきり帰ってくることがなかった。光熱費などの清算もせずに。
2、3日して、不動産屋が大慌てでやってきた。どうやら、一方的に契約を解除すると伝えたらしい。でも、私達も付き合いは全くなかったし、イタリアに帰ったのかどうかも全く分からなかった。
一ヶ月ぐらいして分かったことだが、どうやらボーイフレンドが出来たらしく、そこに転がり込んだようであった。本当にはた迷惑な人でした。
読んでくれてありがとう!
実は、ここにはまだ出てきていない、一時的な住民があと、二人いた。二人の名前はもう覚えていないけれども、一人はスペイン人の女性、もう一人はイタリア人の女性だった。
スペイン人は、住民とはいえないのかな。契約を私と一緒に行ったが、翌日に契約の取り消しをしていた。なんだか、不動産屋にだまされたと思ったようだった。実際のところ、だまされはしなかったものの、かなりの悪徳不動産屋だったので、先見の明があったんだなぁ、なんて思う。
もう一人のイタリア人が厄介者だった。彼女は交換留学生で、スペイン人が入居を取りやめて空いた部屋に入ってきた。英語があまり出来ず、家のルールや取り決めなどを説明するのに一苦労したのを覚えている。ある日、ドイツ人のフランチェスカ、ギリシャ人のヴァンゲロス、デンマーク人のエヴァ、そして私がリビングでビデオを見ていたときにちょうど彼女がやってきて、一緒に見はじめた。その映画の中でちょっとした言葉のやり取りに、ちょっと面白いシーンがあって、私達は笑い声を上げた。そしたら彼女、目をまん丸にさせて一言。
「なんて言ったか分かったの?」
分からなかったら、見てないと思います。
どうやら、彼女は本国では英語が話せるとみなされていたのか、それなりに話せるつもりでいたようであった。だから、他の外国人留学生は彼女と同じレベルに違いないという、びっくりするような先入観を持っていたようである(この話を理解するのにもかなりの時間を要したのは言うまでもないでしょう)。
少なくとも、大学で授業を受けようと思ったら、外国人であっても多少の語学力は必要なんじゃないの???ねぇ。
そんな彼女はそれ以来私達と付き合おうとは全くせず、同じ大学のイタリア人学生とだけ付き合うようになっていった。それはそれで問題ないのだが、真夜中に男連れで帰ってきたり、夕方にシャワールーム(びっくりすることに、一つしかない!!トイレはかろうじて二つあった)を2時間ぐらい占領したりと好き放題の生活をしていた。悪いことに、文句を言おうにも言葉が通じない。。。
ほとほと呆れていたある日、私は学校に行っていたから遭遇しなかったのだが、彼女がだれかを連れて帰ってきた。彼女は直接自室に戻ったかと思うとバタンバタンと大きな音を1時間ほど立て、バタバタと階段を駆け下りる音を二度三度させ、またバタンと出て行ってしまった。
そして、彼女はそれきり帰ってくることがなかった。光熱費などの清算もせずに。
2、3日して、不動産屋が大慌てでやってきた。どうやら、一方的に契約を解除すると伝えたらしい。でも、私達も付き合いは全くなかったし、イタリアに帰ったのかどうかも全く分からなかった。
一ヶ月ぐらいして分かったことだが、どうやらボーイフレンドが出来たらしく、そこに転がり込んだようであった。本当にはた迷惑な人でした。
読んでくれてありがとう!
区議会議員選挙ですねぇ。
今いる地区に新参者の私は、誰が誰だかほとんど分かりませんが、選挙公報を見ながら、誰に投票しようか思案中です。
別に政治に対して熱い思いもないし、確固とした持論もありません。でも、選挙だけは行っています。今まで、全部とはいえませんが、8割がたの選挙に行っています。
その昔海外に住んでいたときは、自動的に選挙権が剥奪され(かなりひどい言い方ではありますが)、投票することが出来ませんでした。でも、私がフランスに住んでいた2003年には海外でも投票することが出来るようになっていました。地方選挙は無理だったような気がしますが、国政選挙は現地の大使館・出張所で投票できるようになっていました。
手続きは面倒で、まず、大使館・出張所に登録をし、住民登録・戸籍(どっちだったか覚えてませんが)登録されている自治体から選挙人登録証のようなものを送ってもらい、その後、再度選挙をするための手続きをしたような気がします。でも、それさえ済ませれば、立候補者名簿なんかも送られてきて、実際の投票も出来ました。
私がフランスにいたときに国政選挙があったので、事前登録を済ませて投票に行きました。でも、地方都市だったためか、わざわざ投票に行く人が少ないのか、職員の方に「あらまぁ、わざわざ選挙に来たの!?」と言うような顔をされました。地方都市とはいえ、それなりに日本人もいたので、投票する人がたくさんいるのかと思っていたのに誰もいなくて、ちょっと残念な気がしました。
確かに、私の一票で国がガラリと変わるとは思えません(都知事選では私の意思に反した結果になりましたし)。でも、一市民の権利として、そしてある意味義務として投票は続けたいと思います。では、ちょっくら選挙に行ってきましょうか。
最近、私の日記を読んでくださる方が多くなっているようで嬉しいです。どうもありがとうございます。よかったら、コメントを残していってください。
今いる地区に新参者の私は、誰が誰だかほとんど分かりませんが、選挙公報を見ながら、誰に投票しようか思案中です。
別に政治に対して熱い思いもないし、確固とした持論もありません。でも、選挙だけは行っています。今まで、全部とはいえませんが、8割がたの選挙に行っています。
その昔海外に住んでいたときは、自動的に選挙権が剥奪され(かなりひどい言い方ではありますが)、投票することが出来ませんでした。でも、私がフランスに住んでいた2003年には海外でも投票することが出来るようになっていました。地方選挙は無理だったような気がしますが、国政選挙は現地の大使館・出張所で投票できるようになっていました。
手続きは面倒で、まず、大使館・出張所に登録をし、住民登録・戸籍(どっちだったか覚えてませんが)登録されている自治体から選挙人登録証のようなものを送ってもらい、その後、再度選挙をするための手続きをしたような気がします。でも、それさえ済ませれば、立候補者名簿なんかも送られてきて、実際の投票も出来ました。
私がフランスにいたときに国政選挙があったので、事前登録を済ませて投票に行きました。でも、地方都市だったためか、わざわざ投票に行く人が少ないのか、職員の方に「あらまぁ、わざわざ選挙に来たの!?」と言うような顔をされました。地方都市とはいえ、それなりに日本人もいたので、投票する人がたくさんいるのかと思っていたのに誰もいなくて、ちょっと残念な気がしました。
確かに、私の一票で国がガラリと変わるとは思えません(都知事選では私の意思に反した結果になりましたし)。でも、一市民の権利として、そしてある意味義務として投票は続けたいと思います。では、ちょっくら選挙に行ってきましょうか。
最近、私の日記を読んでくださる方が多くなっているようで嬉しいです。どうもありがとうございます。よかったら、コメントを残していってください。
6カ国8人の生活 その6
2007年4月21日 異文化
6カ国8人の生活は色々ありました。
ドイツ人のフランチェスカ(彼女いわく、「チェ」は「ch」ではなく「z」の発音だとの事。か〜な〜り、こだわってました)は、20か21のまだ若い交換留学生だった。彼女は旧東ドイツのエリア出身で、質実剛健という言葉がとっても似合っていた。食料品は、高めのスーパーからは買わず、市場で買うようにしていたし、いくつもお店を回って、一番安いところを探すようにしていた。ただ、ケチではなく、何か作ってはおすそ分けをしてくれる、やさしい子だった。
クリスマス休暇、家に帰らずにそのイギリスの長屋に住んでいたのは彼女と私だけだった。その間に私達はすごく仲良くなり、毎日のようにリビングでカードゲームをしていた。他に何をしていたのか、覚えていないぐらい毎日毎日飽きもせずにカードゲームに興じていた。
彼女の話を聞いていると、多少、白人至上主義なのか、だったのか、周りがそうなのかという印象が拭えなかった。ただ、彼女は頭のいい子だったので、その考えを表には決して出さず、私やインド系のイギリス人の子と接していたが、たまに言葉の端々から彼女の考え方が垣間見えることがあった。
海外にいると日本では考えられないくらいたような考え方をする人と出合うことができる。いちいち説明をしなきゃならないこともあったりして疲れることもあるが、幅広いものの見方や考え方に触れることが出来るので、とても楽しい。白人至上主義のような、重いテーマもあれば、楽しい、軽いテーマもある。
こんなこともあった。私がありあわせの食材で夕食を作り、リビングで食べたとき、彼女が一言。「日本人はジャガイモを野菜とみなしてるでしょ?」
ええそうですが?
という感じですが、確かにジャガイモは炭水化物。そのときの私のお皿にはジャガイモを入れた野菜炒めとご飯が乗っていました。ということは、おそらく彼女の目には、私はパンをおかずにご飯を食べているように映っているんだろうなぁと不思議な気がした。
でも、日本にはラーメンライスとかもあるし。(そういう意味じゃない???)
そんなフランチェスカは全身黒尽くめで、やっぱり一見近寄りがたい子でした。
ドイツ人のフランチェスカ(彼女いわく、「チェ」は「ch」ではなく「z」の発音だとの事。か〜な〜り、こだわってました)は、20か21のまだ若い交換留学生だった。彼女は旧東ドイツのエリア出身で、質実剛健という言葉がとっても似合っていた。食料品は、高めのスーパーからは買わず、市場で買うようにしていたし、いくつもお店を回って、一番安いところを探すようにしていた。ただ、ケチではなく、何か作ってはおすそ分けをしてくれる、やさしい子だった。
クリスマス休暇、家に帰らずにそのイギリスの長屋に住んでいたのは彼女と私だけだった。その間に私達はすごく仲良くなり、毎日のようにリビングでカードゲームをしていた。他に何をしていたのか、覚えていないぐらい毎日毎日飽きもせずにカードゲームに興じていた。
彼女の話を聞いていると、多少、白人至上主義なのか、だったのか、周りがそうなのかという印象が拭えなかった。ただ、彼女は頭のいい子だったので、その考えを表には決して出さず、私やインド系のイギリス人の子と接していたが、たまに言葉の端々から彼女の考え方が垣間見えることがあった。
海外にいると日本では考えられないくらいたような考え方をする人と出合うことができる。いちいち説明をしなきゃならないこともあったりして疲れることもあるが、幅広いものの見方や考え方に触れることが出来るので、とても楽しい。白人至上主義のような、重いテーマもあれば、楽しい、軽いテーマもある。
こんなこともあった。私がありあわせの食材で夕食を作り、リビングで食べたとき、彼女が一言。「日本人はジャガイモを野菜とみなしてるでしょ?」
ええそうですが?
という感じですが、確かにジャガイモは炭水化物。そのときの私のお皿にはジャガイモを入れた野菜炒めとご飯が乗っていました。ということは、おそらく彼女の目には、私はパンをおかずにご飯を食べているように映っているんだろうなぁと不思議な気がした。
でも、日本にはラーメンライスとかもあるし。(そういう意味じゃない???)
そんなフランチェスカは全身黒尽くめで、やっぱり一見近寄りがたい子でした。
6カ国8人の生活 その5
2007年4月19日 異文化
6カ国8人と共同生活をしていました。
ギリシャ人のヴァンゲロスは、真っ黒の髪の毛に濃い目鼻立ちで、どちらかと言うとアラブ系のような容貌だった。年齢は誰よりも上で、30代半ばだったと思う。映像系の勉強をしていた大学院生だった。
ギリシャでは、誕生日のほかに自分の名前の日みたいなのがあり、誕生日と同じぐらいかそれ以上に祝うと言うことだった。ヴァンゲロスの名前の日は2月か3月で、少しずつ日が長くなってきていた時期だったように記憶している。その時、彼が彼のギリシャの友達を招待し、うちでパーティーをした。
彼から、その前日に名前の日のお祝いで友達を呼ぶから、良かったら参加しないかと誘われていた。彼の友達のうち一人はしょっちゅううちに来ていたし、一緒に遊びに行ったこともあったので、喜んで参加させてもらうことにした(その友達は結構かっこよかったので、私のお気に入りでもあった!)。
その日、学校から帰ってきたら既にパーティーは始まりかけていた。まだ人数はあまりいないようで、2、3人の声しか聞こえなかった。私はちょっとワクワクしながらドアを開けたが、その瞬間かなり後悔した。なぜなら、お気に入りの彼はおらず、ヴァンゲロスと一緒にそこにいた人は、道端で会ったら絶対に視線を避けるような人だったからだ。
革のパンツと革のジャケットを羽織った彼は、両耳は上から下まで輪っかのピアスがずらりと並び、鼻から口へはチェーンのピアスがぶら下がっていた。更に革のジャケットの下に着ていた白い長袖Tシャツの袖からは黒っぽい刺青(あえてタトゥーとは言わない)が覗いていた。
私はこわごわ自己紹介をし、リビングに座った。本当は部屋を出たかったのだが、入ってすぐに出るのはいくらなんでもまずいと思い、踏みとどまった。ヴァンゲロスは私のことを「日本から来たんだよ」と紹介をしてくれた。その瞬間、革とピアスと刺青の男は「えっ、日本!?」と怖い目つきをギョロリとさせ、一言いった。
「ぼく、子供のころキャンディキャンディが大好きだったんだよね」
それから他の参加者が集まり、食べ物が並ぶまで30分ぐらい、目を輝かせながらキャンディキャンディの話を一生懸命してくれました。
人は見かけで判断してはいけません。
ギリシャ人のヴァンゲロスは、真っ黒の髪の毛に濃い目鼻立ちで、どちらかと言うとアラブ系のような容貌だった。年齢は誰よりも上で、30代半ばだったと思う。映像系の勉強をしていた大学院生だった。
ギリシャでは、誕生日のほかに自分の名前の日みたいなのがあり、誕生日と同じぐらいかそれ以上に祝うと言うことだった。ヴァンゲロスの名前の日は2月か3月で、少しずつ日が長くなってきていた時期だったように記憶している。その時、彼が彼のギリシャの友達を招待し、うちでパーティーをした。
彼から、その前日に名前の日のお祝いで友達を呼ぶから、良かったら参加しないかと誘われていた。彼の友達のうち一人はしょっちゅううちに来ていたし、一緒に遊びに行ったこともあったので、喜んで参加させてもらうことにした(その友達は結構かっこよかったので、私のお気に入りでもあった!)。
その日、学校から帰ってきたら既にパーティーは始まりかけていた。まだ人数はあまりいないようで、2、3人の声しか聞こえなかった。私はちょっとワクワクしながらドアを開けたが、その瞬間かなり後悔した。なぜなら、お気に入りの彼はおらず、ヴァンゲロスと一緒にそこにいた人は、道端で会ったら絶対に視線を避けるような人だったからだ。
革のパンツと革のジャケットを羽織った彼は、両耳は上から下まで輪っかのピアスがずらりと並び、鼻から口へはチェーンのピアスがぶら下がっていた。更に革のジャケットの下に着ていた白い長袖Tシャツの袖からは黒っぽい刺青(あえてタトゥーとは言わない)が覗いていた。
私はこわごわ自己紹介をし、リビングに座った。本当は部屋を出たかったのだが、入ってすぐに出るのはいくらなんでもまずいと思い、踏みとどまった。ヴァンゲロスは私のことを「日本から来たんだよ」と紹介をしてくれた。その瞬間、革とピアスと刺青の男は「えっ、日本!?」と怖い目つきをギョロリとさせ、一言いった。
「ぼく、子供のころキャンディキャンディが大好きだったんだよね」
それから他の参加者が集まり、食べ物が並ぶまで30分ぐらい、目を輝かせながらキャンディキャンディの話を一生懸命してくれました。
人は見かけで判断してはいけません。
6カ国8人の生活 その4
2007年4月18日 異文化
イギリスで6カ国8人の生活をしていました。
私は3階の部屋に住んでいた。屋根裏部屋のような感じで、天井の一部が斜めになっていて、何回か頭をぶつけて痛い目を見た。部屋の一面に大きな窓があり、天気のいい日は日当たりも良く、小さい部屋であったが居心地は良かった。
すぐ下には裏庭が見え、裏庭の向こうは別の家の裏庭と別の家の部屋が見えた。長屋同士が背を向けて立ち並び、その間に裏庭があるといえば分かりやすいだろうか。私の部屋の窓から、向かいの家がちょっと遠くではあるけれども見え、中に住んでいる人の生活が垣間見えた。覗きの趣味はないけれども、人が生活している様子を少し覗くのは楽しいものだった。洗濯物を干すおばさんや、机に向かって勉強らしきことをしている少年を見てはあっという間に時間が過ぎていった。
長屋はせいぜい三階建てで、どの家も同じ高さなので、空を隠すような大きな建物はなく、部屋の窓からは空が良く見えた。天気のいい日は青空を眺めながら、雲が流れて行くのをじっと見ていたり、天気が悪い日は空いっぱいの厚い雲の、色の違いを飽きもせず眺めていた。
手入れをされていない部屋、家具であったため、床から釘のようなものが出ていて、一度足から少しだけであるが血を流したことがあったし、大雨の日にはひどい雨漏りもした。クローゼットなんていうたいそうなものはなく、壁にパイプが伸びていてそこに服を吊るしていた。小さな戸棚があったが、観音扉の形をした扉がしっかり閉まらず、ほっておくと扉が開きっぱなしであった。真っ白な壁は殺風景で、味気ないものであった。
やはり窓の影響は大きかったと思う。それだけ質素で殺風景な部屋であったし、住んでいた9月から5月のうち10月から3月ぐらいまでは朝8時過ぎまで真っ暗、午後3時過ぎるとまた真っ暗なので部屋の中では電気をいつもつけていたはずである。更に、その間はほぼ毎日曇天であったにもかかわらず、私の中の記憶では私の部屋は日の光がさんさんと入る、明るい部屋である。
そのあと住んだフランスのアパートは逆に日の光がほとんど入らない部屋で、かなり気が滅入った。今住んでいるところは窓がたくさんある家だ。初めてここを見たときに一目で気に入った。私の窓好きの原点はイギリスの、あの長屋かもしれない。
私は3階の部屋に住んでいた。屋根裏部屋のような感じで、天井の一部が斜めになっていて、何回か頭をぶつけて痛い目を見た。部屋の一面に大きな窓があり、天気のいい日は日当たりも良く、小さい部屋であったが居心地は良かった。
すぐ下には裏庭が見え、裏庭の向こうは別の家の裏庭と別の家の部屋が見えた。長屋同士が背を向けて立ち並び、その間に裏庭があるといえば分かりやすいだろうか。私の部屋の窓から、向かいの家がちょっと遠くではあるけれども見え、中に住んでいる人の生活が垣間見えた。覗きの趣味はないけれども、人が生活している様子を少し覗くのは楽しいものだった。洗濯物を干すおばさんや、机に向かって勉強らしきことをしている少年を見てはあっという間に時間が過ぎていった。
長屋はせいぜい三階建てで、どの家も同じ高さなので、空を隠すような大きな建物はなく、部屋の窓からは空が良く見えた。天気のいい日は青空を眺めながら、雲が流れて行くのをじっと見ていたり、天気が悪い日は空いっぱいの厚い雲の、色の違いを飽きもせず眺めていた。
手入れをされていない部屋、家具であったため、床から釘のようなものが出ていて、一度足から少しだけであるが血を流したことがあったし、大雨の日にはひどい雨漏りもした。クローゼットなんていうたいそうなものはなく、壁にパイプが伸びていてそこに服を吊るしていた。小さな戸棚があったが、観音扉の形をした扉がしっかり閉まらず、ほっておくと扉が開きっぱなしであった。真っ白な壁は殺風景で、味気ないものであった。
やはり窓の影響は大きかったと思う。それだけ質素で殺風景な部屋であったし、住んでいた9月から5月のうち10月から3月ぐらいまでは朝8時過ぎまで真っ暗、午後3時過ぎるとまた真っ暗なので部屋の中では電気をいつもつけていたはずである。更に、その間はほぼ毎日曇天であったにもかかわらず、私の中の記憶では私の部屋は日の光がさんさんと入る、明るい部屋である。
そのあと住んだフランスのアパートは逆に日の光がほとんど入らない部屋で、かなり気が滅入った。今住んでいるところは窓がたくさんある家だ。初めてここを見たときに一目で気に入った。私の窓好きの原点はイギリスの、あの長屋かもしれない。
6カ国8人の生活 その3
2007年4月16日 異文化
イギリスの田舎町で6カ国8人の共同生活をしていました。
台所の話はまだまだ続きます。
流し台は白いセラミックっぽいもので、大きくはないけれどもそれなりに深さもあり、冷蔵庫に比べて文句を言うような点はなかった。ただ、一点を除いて。。。
それは、お湯と水の蛇口が離れていること。日本では、お湯と水の栓はそれぞれ別でも蛇口(水が出てくるところ)は一緒になっていて、蛇口からは完全に混ざり合ってないこともあるかもしれないけれども、基本的に適温のお湯が出てくることが多いと思う。
イギリスではなぜかお湯の蛇口と水の蛇口がそれぞれついていて、それぞれが固定されていて、さらにお互いが10cmぐらい離れていた。
冬の寒いときにはお湯で食器を洗いたい。が、しかし、お湯の蛇口から出てくるものは熱湯に近い温度のお湯。水の蛇口から出てくるものは凍るように冷たい水。でも、バラバラに離れているから右手は氷の中のよう。左手は火傷しそう。と、こんな感じで、ものすごく不便であった。どうやらイギリスでは水をためて洗い物をするからだそうであるが、ちょっと手を洗うとか、数枚(数個)の食器を洗うだけなら水をためるのももったいないのでちゃっちゃと洗っちゃいたいところであるが、それが出来なかった。
あと、イギリス(アイルランドもそうだといううわさ)では、食器用洗剤で洗った食器をそのままラックにのせ、そのまま乾燥させる。つまり、洗剤は洗い流さないのだ。噂には聞いていたけれども目の当たりにしたときはちょっとショックだった。その上に食べ物置いたら、洗剤を口に入れてるようなものなのに〜〜〜
私達は食器を共有していたため、それを見てからはどんなにきれいに見えるお皿であっても一度水洗いをしてから使っていた。そして、ドイツ人も同じ事をしていた。(笑)
台所の話はまだまだ続きます。
流し台は白いセラミックっぽいもので、大きくはないけれどもそれなりに深さもあり、冷蔵庫に比べて文句を言うような点はなかった。ただ、一点を除いて。。。
それは、お湯と水の蛇口が離れていること。日本では、お湯と水の栓はそれぞれ別でも蛇口(水が出てくるところ)は一緒になっていて、蛇口からは完全に混ざり合ってないこともあるかもしれないけれども、基本的に適温のお湯が出てくることが多いと思う。
イギリスではなぜかお湯の蛇口と水の蛇口がそれぞれついていて、それぞれが固定されていて、さらにお互いが10cmぐらい離れていた。
冬の寒いときにはお湯で食器を洗いたい。が、しかし、お湯の蛇口から出てくるものは熱湯に近い温度のお湯。水の蛇口から出てくるものは凍るように冷たい水。でも、バラバラに離れているから右手は氷の中のよう。左手は火傷しそう。と、こんな感じで、ものすごく不便であった。どうやらイギリスでは水をためて洗い物をするからだそうであるが、ちょっと手を洗うとか、数枚(数個)の食器を洗うだけなら水をためるのももったいないのでちゃっちゃと洗っちゃいたいところであるが、それが出来なかった。
あと、イギリス(アイルランドもそうだといううわさ)では、食器用洗剤で洗った食器をそのままラックにのせ、そのまま乾燥させる。つまり、洗剤は洗い流さないのだ。噂には聞いていたけれども目の当たりにしたときはちょっとショックだった。その上に食べ物置いたら、洗剤を口に入れてるようなものなのに〜〜〜
私達は食器を共有していたため、それを見てからはどんなにきれいに見えるお皿であっても一度水洗いをしてから使っていた。そして、ドイツ人も同じ事をしていた。(笑)
6カ国8人の生活 その2
2007年4月15日 異文化
イギリス時代に6カ国8人で住んでいた家のキッチンは古いものの結構広く、快適なものであった。流しの正面に窓があり、小さな裏庭が見えたが、前庭同様手入れをしていなかったため草がボウボウに生えていて、実際に裏に出たのも数えるほどだった。でも、台所に窓があるという開放感が好きで、私のお気に入りの場所でもあった。
8人が住んでいる割に冷蔵庫が小さく、それがゆえに私達は困ることが多かった。一人暮らしサイズの冷蔵庫だったので、あまり物が入らない。更に私達は自分のものは自分で買う方針だったため、ヨーグルトや牛乳等すぐに消費できないものが三つも四つも冷蔵庫にあった。だから、肉や魚など、要冷蔵の食料品は買い置きが出来ず、しょっちゅうスーパーに行っていた。
二人の中国人はカップルで、全然私達と交流を持たなかった。それに関しては別に問題がないのだが、彼らは自分中心に生活をする、ちょっと困った人たちであった。それだけ小さい冷蔵庫だから、お互いに譲り合って使わなければならないのに、大量に食料品を買ってきて、全部入らないとほかの人の食料品を出したりしていた。また、その冷蔵庫には冷凍庫が付いていなかったのだが、いっぱい買ってきた食料品を凍らそうと思ったのか、冷蔵庫の温度を最大限下げ、気付いたらヨーグルトや牛乳が凍っていたことがあった。
最初は間違って回したのかと思って適温に戻していたのだが、気がつくとまたキンキンに冷えていた。いい加減頭にきた私達は彼らに温度を下げすぎないよう言ったのだが、「買った食糧が悪くなったらどうしてくれるんだ」とくる。
彼らの食料は大事だけど、私達の食料はどうなってもいいっていうこと???何度話しても埒が明かなかったのでほとほと困っていたある日、生粋イギリス人のRobがすごいものを買ってきた!
瞬間接着剤!
彼はこれでダイヤルを固定してしまった!数時間後ダイヤルが動かないことに気付いて文句を言いに来た彼らに「あまり動かしすぎたからうごかなくなっちゃったみたいだよ」と一言!
あとで大笑いした。きっと今でもあの冷蔵庫のダイヤルは動かないんだろうな。
8人が住んでいる割に冷蔵庫が小さく、それがゆえに私達は困ることが多かった。一人暮らしサイズの冷蔵庫だったので、あまり物が入らない。更に私達は自分のものは自分で買う方針だったため、ヨーグルトや牛乳等すぐに消費できないものが三つも四つも冷蔵庫にあった。だから、肉や魚など、要冷蔵の食料品は買い置きが出来ず、しょっちゅうスーパーに行っていた。
二人の中国人はカップルで、全然私達と交流を持たなかった。それに関しては別に問題がないのだが、彼らは自分中心に生活をする、ちょっと困った人たちであった。それだけ小さい冷蔵庫だから、お互いに譲り合って使わなければならないのに、大量に食料品を買ってきて、全部入らないとほかの人の食料品を出したりしていた。また、その冷蔵庫には冷凍庫が付いていなかったのだが、いっぱい買ってきた食料品を凍らそうと思ったのか、冷蔵庫の温度を最大限下げ、気付いたらヨーグルトや牛乳が凍っていたことがあった。
最初は間違って回したのかと思って適温に戻していたのだが、気がつくとまたキンキンに冷えていた。いい加減頭にきた私達は彼らに温度を下げすぎないよう言ったのだが、「買った食糧が悪くなったらどうしてくれるんだ」とくる。
彼らの食料は大事だけど、私達の食料はどうなってもいいっていうこと???何度話しても埒が明かなかったのでほとほと困っていたある日、生粋イギリス人のRobがすごいものを買ってきた!
瞬間接着剤!
彼はこれでダイヤルを固定してしまった!数時間後ダイヤルが動かないことに気付いて文句を言いに来た彼らに「あまり動かしすぎたからうごかなくなっちゃったみたいだよ」と一言!
あとで大笑いした。きっと今でもあの冷蔵庫のダイヤルは動かないんだろうな。
6カ国8人の生活 その1
2007年4月14日 異文化
先日、ふとしたことから思い出した
私は数年前、イギリスで学校に通っていた。その学校に通っていた学生達7人と一つの家をシェアしていた。別に忘れていたわけじゃないけど、なんとなく思い出して、懐かしくなった。
面白い生活だった。
構成人種は
イギリス人二人(生粋のイギリス人一人、インド系イギリス人一人)
デンマーク人
ドイツ人
ギリシャ人
中国人 二人
日本人 私
であった。
よくあるように、以前から知り合いだった友達がシェアをしたのではなく、全員その年に母国から来た外国人か、編入・入学したばかりであったため、誰もその街に詳しくない人が、大学のハウジングサービスを活用して紹介してもらった物件だ。
イギリスの住宅街の象徴ともいえるような、赤いレンガの長屋がその家であった。坂の途中に立っていたので、隣同士であっても多少の段差があり、長屋でありながら長屋でないような、そんな家だった。道路から玄関まで小さな前庭のようなものがあり、キチンと手入れされている家もあったが、私達の家は雑草伸び放題であった。両隣はインド(かパキスタン)系の家族で、同じように前庭はほったらかしだったので気兼ねなく(?)ほったらかしにしておいた。家自体は結構古い建物で、あちこちがガタピシいっていたし、冬場は結構寒かった。
玄関を入ってすぐ正面左側に上階への階段があり、右手にはリビングがあった。殺風景なリビングであった。リビングの隣の寝室にはドイツ人が住んでいた。正面の奥にはキッチンがあり、キッチンの入り口は階段の陰に隠れていたが、玄関から入って正面の壁にガラスがはまっていたので、玄関を開けるとキッチンが見え、誰かがいればすぐ分かる造りだった。キッチンで色々な話をしたり、笑いあったり、時には言い争いや静かな戦いがあったりした。今となっては良い思い出。
つづく
私は数年前、イギリスで学校に通っていた。その学校に通っていた学生達7人と一つの家をシェアしていた。別に忘れていたわけじゃないけど、なんとなく思い出して、懐かしくなった。
面白い生活だった。
構成人種は
イギリス人二人(生粋のイギリス人一人、インド系イギリス人一人)
デンマーク人
ドイツ人
ギリシャ人
中国人 二人
日本人 私
であった。
よくあるように、以前から知り合いだった友達がシェアをしたのではなく、全員その年に母国から来た外国人か、編入・入学したばかりであったため、誰もその街に詳しくない人が、大学のハウジングサービスを活用して紹介してもらった物件だ。
イギリスの住宅街の象徴ともいえるような、赤いレンガの長屋がその家であった。坂の途中に立っていたので、隣同士であっても多少の段差があり、長屋でありながら長屋でないような、そんな家だった。道路から玄関まで小さな前庭のようなものがあり、キチンと手入れされている家もあったが、私達の家は雑草伸び放題であった。両隣はインド(かパキスタン)系の家族で、同じように前庭はほったらかしだったので気兼ねなく(?)ほったらかしにしておいた。家自体は結構古い建物で、あちこちがガタピシいっていたし、冬場は結構寒かった。
玄関を入ってすぐ正面左側に上階への階段があり、右手にはリビングがあった。殺風景なリビングであった。リビングの隣の寝室にはドイツ人が住んでいた。正面の奥にはキッチンがあり、キッチンの入り口は階段の陰に隠れていたが、玄関から入って正面の壁にガラスがはまっていたので、玄関を開けるとキッチンが見え、誰かがいればすぐ分かる造りだった。キッチンで色々な話をしたり、笑いあったり、時には言い争いや静かな戦いがあったりした。今となっては良い思い出。
つづく
新入社員を見て思うこと
2007年4月12日 お仕事
最近、新入社員らしい人たちをあちこちで見かける。就職活動中の学生かもしれないが、スーツの襟にバッヂが光っていたり、色シャツやストライプなどの模様の入ったシャツなどを着ているのをみると、学生じゃないなと分かる。あと、顔つきも違って見える。学生は「これからどうなるんだろう」という不安が見え隠れするが、新入社員は「これからがんばるぞ」という心意気が見える。
私が社会人になって少しの間は毎日が単調で代わり映えしなく、また、日中ほとんどずっと建物の中にいることが耐えがたかった。仕事自体、自分の努力が目に見える形で表われないし、周りの人からも気付いてもらえていない気がした。「何のためにこんなことをしているんだろう」と何度考えたか分からない。仕事って、もっともっと挑戦のしがいがあって、日々自分の成長が感じられるものだと思っていた。努力がそのまま形になるのだと思っていた。
大学を卒業して10年。この間に分かったことは、学生時代の時間の感覚と社会人の時間の感覚が違うと言うこと。学生に比べて社会人は一分一秒を争うような生活を送り、遅刻などもってのほか。でも、その一方で時間の単位が長い。一つの仕事を2年、3年かけて行うこともあり、その場合には一日や一週間では全く進捗がないように見えるかもしれない。学生時代は数週間・数ヶ月ごとにテスト・試験があり、その結果で自分の理解度や習熟度を測ることが出来る。また、テストが終わったら詰め込んだ知識は失っても困らないことが多い。一方、社会人は自分の成長を測る機会がめったにない。3年ぐらい経って、気付いたら成長していたというのも珍しくない話だ。しかし、日々の生活の中で得たことは(習得していることに気付いていないことも多いが、実は様々なことを学んでいる)、日々活用しているし、活用するように期待されている。分かるだけじゃなくて、出来ることが重要だ。例えば、電話の応対一つとっても言えることである。一般的に「電話応対習熟度テスト」なんてやらない。最初にちょっと習って、あとは自分で少しずつできるようになっていくだけである。言葉遣いや状況に応じた言い方は知識として知っているだけでは不十分で、実際の電話口でいえなければ意味がない。ただ、電話に出られるようになっただけではだれもほめてくれないし、テストがないから努力のあとも見えない。自分自身、「まだまだだ」という気持ちがあると思う。でも、そのような小さなことの積み重ねが数年後の「成長」につながる。積み重なるのには時間がかかるものだ。
私自身、まだまだ半人前(どころか、やっと孵化したぐらい?)。これからも少しずつ亀の歩みで成長していければいいな、と思う。
私が社会人になって少しの間は毎日が単調で代わり映えしなく、また、日中ほとんどずっと建物の中にいることが耐えがたかった。仕事自体、自分の努力が目に見える形で表われないし、周りの人からも気付いてもらえていない気がした。「何のためにこんなことをしているんだろう」と何度考えたか分からない。仕事って、もっともっと挑戦のしがいがあって、日々自分の成長が感じられるものだと思っていた。努力がそのまま形になるのだと思っていた。
大学を卒業して10年。この間に分かったことは、学生時代の時間の感覚と社会人の時間の感覚が違うと言うこと。学生に比べて社会人は一分一秒を争うような生活を送り、遅刻などもってのほか。でも、その一方で時間の単位が長い。一つの仕事を2年、3年かけて行うこともあり、その場合には一日や一週間では全く進捗がないように見えるかもしれない。学生時代は数週間・数ヶ月ごとにテスト・試験があり、その結果で自分の理解度や習熟度を測ることが出来る。また、テストが終わったら詰め込んだ知識は失っても困らないことが多い。一方、社会人は自分の成長を測る機会がめったにない。3年ぐらい経って、気付いたら成長していたというのも珍しくない話だ。しかし、日々の生活の中で得たことは(習得していることに気付いていないことも多いが、実は様々なことを学んでいる)、日々活用しているし、活用するように期待されている。分かるだけじゃなくて、出来ることが重要だ。例えば、電話の応対一つとっても言えることである。一般的に「電話応対習熟度テスト」なんてやらない。最初にちょっと習って、あとは自分で少しずつできるようになっていくだけである。言葉遣いや状況に応じた言い方は知識として知っているだけでは不十分で、実際の電話口でいえなければ意味がない。ただ、電話に出られるようになっただけではだれもほめてくれないし、テストがないから努力のあとも見えない。自分自身、「まだまだだ」という気持ちがあると思う。でも、そのような小さなことの積み重ねが数年後の「成長」につながる。積み重なるのには時間がかかるものだ。
私自身、まだまだ半人前(どころか、やっと孵化したぐらい?)。これからも少しずつ亀の歩みで成長していければいいな、と思う。
理解することと納得すること
2007年4月10日 せんぴこ
頭では分かるけれども、心の底から分かるまでには至らないことがある
例えば、私にとって男の人が(女の人でもいることはいるけど)愛がなくても女性と行為に及ぶことが出来るということは、「そうゆうもんなんだ」という意味では理解できるけど、納得できるというレベルではない。
スポーツを見ることが好きな人に対しても同じような感情を抱く。楽しいらしいことは分かるが、私は自分でやりたいし、見ているだけであれほど興奮できるのが良く分からない。
せんぴこ君にとってそれは、人とのつながりであったり、結婚というシステムであったりするらしい。
人とのつながりが大事なことで、多くの人はとても意識するのは分かるけど、感覚としては分からないらしい。
結婚という制度についても、重要性とかはわかるし、重視する意見も分かるが、例えば「結婚して嬉しい」という感情はわかないらしい。
自分のアイデンティティや文化といったものへの執着も少ない。食事や習慣を異国である日本で採り入れようとはしない。キライじゃないらしいが、日本では特にやりたくないとの事。
一方、私は絶対にどの国にいてもお正月文化は持っていくつもり。
私と会うまではたいして日本に興味もなかった(そして、今でもあまりない?)せんぴこ君が日本の生活をこれだけすんなりと受け入れた柔軟性の高さは一方では自国の文化に固執しないせいかもしれない。
嬉しい反面、なんか寂しい。もしかしたら私達の作り上げた習慣とか慣わしも簡単に捨てることが出来ちゃうのかも。。。
せんぴこ君に変わって欲しいとは言わない。でも、少し寂しい。
例えば、私にとって男の人が(女の人でもいることはいるけど)愛がなくても女性と行為に及ぶことが出来るということは、「そうゆうもんなんだ」という意味では理解できるけど、納得できるというレベルではない。
スポーツを見ることが好きな人に対しても同じような感情を抱く。楽しいらしいことは分かるが、私は自分でやりたいし、見ているだけであれほど興奮できるのが良く分からない。
せんぴこ君にとってそれは、人とのつながりであったり、結婚というシステムであったりするらしい。
人とのつながりが大事なことで、多くの人はとても意識するのは分かるけど、感覚としては分からないらしい。
結婚という制度についても、重要性とかはわかるし、重視する意見も分かるが、例えば「結婚して嬉しい」という感情はわかないらしい。
自分のアイデンティティや文化といったものへの執着も少ない。食事や習慣を異国である日本で採り入れようとはしない。キライじゃないらしいが、日本では特にやりたくないとの事。
一方、私は絶対にどの国にいてもお正月文化は持っていくつもり。
私と会うまではたいして日本に興味もなかった(そして、今でもあまりない?)せんぴこ君が日本の生活をこれだけすんなりと受け入れた柔軟性の高さは一方では自国の文化に固執しないせいかもしれない。
嬉しい反面、なんか寂しい。もしかしたら私達の作り上げた習慣とか慣わしも簡単に捨てることが出来ちゃうのかも。。。
せんぴこ君に変わって欲しいとは言わない。でも、少し寂しい。
ホタテとタコのスープ
2007年4月9日 お食事有り合わせで作ったスープなのに、超ウマッ
ホタテ(小さいサイズの殻付き 8個)
タコ(100g程度を薄切りスライスに)
たまねぎ(半分 みじん切り)
にんにく(一かけ みじん切り)
1.鍋にオリーブオイルを入れ、あったまってきたらたまねぎとにんにくを弱火で、たまねぎが薄黄色になるまで炒める。
2.水を7、800ml入れ、鶏ガラスープの素(粉末)を加えて煮立たせる
3.スープが煮立ったら、ホタテを入れ、塩・胡椒
4.ホタテの殻が開いて、少し煮たててから、タコを入れ、一煮立ちさせる
5.ボールに入れ、パセリか香草かワケギ(青みが加われが良し)を散らして食す
うま〜
ホタテ(小さいサイズの殻付き 8個)
タコ(100g程度を薄切りスライスに)
たまねぎ(半分 みじん切り)
にんにく(一かけ みじん切り)
1.鍋にオリーブオイルを入れ、あったまってきたらたまねぎとにんにくを弱火で、たまねぎが薄黄色になるまで炒める。
2.水を7、800ml入れ、鶏ガラスープの素(粉末)を加えて煮立たせる
3.スープが煮立ったら、ホタテを入れ、塩・胡椒
4.ホタテの殻が開いて、少し煮たててから、タコを入れ、一煮立ちさせる
5.ボールに入れ、パセリか香草かワケギ(青みが加われが良し)を散らして食す
うま〜
いくら忙しいからっていっても、ちょっとメールしたり日記書いたりぐらいは出来ると思っていたけど、本当に忙しくなるとそんな時間ももったいなくなる。
ちょっと落ち着いたけど、かなり忙しい3月と4月上旬でした。
ちょっと落ち着いたけど、かなり忙しい3月と4月上旬でした。
家計調査 中間報告
2007年3月4日
やばい。全く手をつけていない。
レシートは取ってあるけど、いったい何をいつ買ったか詳細まで分からん。「ヤサイ01」とかしか書いてないレシートだったらもうアウト。
だからといって、今やるわけじゃないんだよね。これが私の悪いところ。はい。よぉく分かってます。
せんぴこ君との会話で、「もし、彼が私の性格とかで気になることで今は我慢できるけど、もしかしたら将来的にものすごく勘に触るかもしれないことってなに?」と聞いたら、「Lazy(怠け性)なこと」と言われた。
えぇぇぇぇぇ 私からLazinessを取ったら何にも残らないよぅ
でも、そんな私が嫌いだったんだ。どうしよう。
家計調査、やる?
そうだね。
明日から!(既にLazy)
レシートは取ってあるけど、いったい何をいつ買ったか詳細まで分からん。「ヤサイ01」とかしか書いてないレシートだったらもうアウト。
だからといって、今やるわけじゃないんだよね。これが私の悪いところ。はい。よぉく分かってます。
せんぴこ君との会話で、「もし、彼が私の性格とかで気になることで今は我慢できるけど、もしかしたら将来的にものすごく勘に触るかもしれないことってなに?」と聞いたら、「Lazy(怠け性)なこと」と言われた。
えぇぇぇぇぇ 私からLazinessを取ったら何にも残らないよぅ
でも、そんな私が嫌いだったんだ。どうしよう。
家計調査、やる?
そうだね。
明日から!(既にLazy)
憂鬱
年に一度の健康診断が明日ある。憂鬱〜。特にバリウム。前から色々聞いていて、かなり嫌なイメージがあって、口に入れるものとしては最悪のイメージを持っていたけれども、まさにそのイメージどおり。明日は生涯で三度目のバリウム。気が重い。喉があの、液体ともいえない液体が通過するのを拒否しているのがすごく分かる。でも、早く飲めと急かされて。。。 あぁ、考えただけで嫌になる。
次に嫌なのが採血。私の腕の血管はかなり細く、余り良く見えない。ほんとかどうか知らないが、針を刺すと血管が逃げるといわれた。しょっちゅう二の腕をゴムチューブで縛られ、ひじの内側の辺りをペシペシたたかれる。これで血管が出ればそれでプスリ。でも、さらに、刺したら刺したで、血液が余り勢い良く出ないので、手のひらを閉じたり開いたりしてくれと言われたこともある。腕に針が刺さっているだけでも痛いのに、更に筋肉を動かすなんて!去年はうまい人に当たったから助かったけど、下手したら2、3回針を刺されては抜かれることもある。
あぁ、逃げ出したい。
年に一度の健康診断が明日ある。憂鬱〜。特にバリウム。前から色々聞いていて、かなり嫌なイメージがあって、口に入れるものとしては最悪のイメージを持っていたけれども、まさにそのイメージどおり。明日は生涯で三度目のバリウム。気が重い。喉があの、液体ともいえない液体が通過するのを拒否しているのがすごく分かる。でも、早く飲めと急かされて。。。 あぁ、考えただけで嫌になる。
次に嫌なのが採血。私の腕の血管はかなり細く、余り良く見えない。ほんとかどうか知らないが、針を刺すと血管が逃げるといわれた。しょっちゅう二の腕をゴムチューブで縛られ、ひじの内側の辺りをペシペシたたかれる。これで血管が出ればそれでプスリ。でも、さらに、刺したら刺したで、血液が余り勢い良く出ないので、手のひらを閉じたり開いたりしてくれと言われたこともある。腕に針が刺さっているだけでも痛いのに、更に筋肉を動かすなんて!去年はうまい人に当たったから助かったけど、下手したら2、3回針を刺されては抜かれることもある。
あぁ、逃げ出したい。
変なの
せんぴこ君は昔からニキビが出来るとつぶさずにいられなかったらしい。一方私は長年ニキビに悩まされていたけど、触っちゃいけないと思ってぶつぶつの顔を晒していた(今考えると恥ずかし〜い)。
私は今でもたまに一つ二つポツリポツリとできる。そうするとせんぴこ君は喜び勇んでつぶそうとする。私は絶対に触ってくれるなと言っても、白くなったものはつぶして良いんだと聞かない。どっかから文献まで拾ってきて、「ほら、大丈夫と書いてある」と力説する。
一緒に暮らして一年半。何個のニキビをつぶされただろう。確かに跡にはなってないし、出来たらすぐつぶすから余り目立たない。でも、私はせんぴこ君がつぶすのは痛いからキライだ。嫌だといっても聞いてくれないし、結局いつも痛い思いをしてきれいにしてもらう。ただ、私の「ぎゃ〜」という声や「い〜た〜い」や「やめて〜」なんていう声は外に聞こえているんだろうか。ちょっと怖い今日この頃。お隣さんの視線が哀れみを帯びていたら要注意だぞ。
せんぴこ君は昔からニキビが出来るとつぶさずにいられなかったらしい。一方私は長年ニキビに悩まされていたけど、触っちゃいけないと思ってぶつぶつの顔を晒していた(今考えると恥ずかし〜い)。
私は今でもたまに一つ二つポツリポツリとできる。そうするとせんぴこ君は喜び勇んでつぶそうとする。私は絶対に触ってくれるなと言っても、白くなったものはつぶして良いんだと聞かない。どっかから文献まで拾ってきて、「ほら、大丈夫と書いてある」と力説する。
一緒に暮らして一年半。何個のニキビをつぶされただろう。確かに跡にはなってないし、出来たらすぐつぶすから余り目立たない。でも、私はせんぴこ君がつぶすのは痛いからキライだ。嫌だといっても聞いてくれないし、結局いつも痛い思いをしてきれいにしてもらう。ただ、私の「ぎゃ〜」という声や「い〜た〜い」や「やめて〜」なんていう声は外に聞こえているんだろうか。ちょっと怖い今日この頃。お隣さんの視線が哀れみを帯びていたら要注意だぞ。
厄介なことに巻き込まれたかも
一ヶ月ぐらい前、私の住むエリアで家計調査を行うとかで、世帯主の名前やら何人住んでるかなんて事を聞かれた。そしたら数週間前、家計調査依頼の手紙が来た。依頼だから「協力をお願いします」口調だが、「嫌です」とか「ムリです」という返信は出来ず、半強制っぽい。
そして昨日、調査員という人がやってきた。
一応、家計簿もつけてないから私達の出費を知るためにいいかな、なんて思ってたけど話を聞いてから大反省。細か〜い。
食費のレシート写すだけではダメで、買い物の内容(大根とか、鶏肉とか)を書き、更にはそれぞれの重量も必要だという。ひぃぃぃぃ。
ムリです、そんなこと。お小遣い帳もまともにつけたことのない私がそんなのを半年も続けるなんて。。。
一ヶ月ぐらい前、私の住むエリアで家計調査を行うとかで、世帯主の名前やら何人住んでるかなんて事を聞かれた。そしたら数週間前、家計調査依頼の手紙が来た。依頼だから「協力をお願いします」口調だが、「嫌です」とか「ムリです」という返信は出来ず、半強制っぽい。
そして昨日、調査員という人がやってきた。
一応、家計簿もつけてないから私達の出費を知るためにいいかな、なんて思ってたけど話を聞いてから大反省。細か〜い。
食費のレシート写すだけではダメで、買い物の内容(大根とか、鶏肉とか)を書き、更にはそれぞれの重量も必要だという。ひぃぃぃぃ。
ムリです、そんなこと。お小遣い帳もまともにつけたことのない私がそんなのを半年も続けるなんて。。。