選択の幅
選択の幅が広がるのは良い事だ(だ?)

かっぱえびせんに普通のやつだけじゃなくてウメ味があるとか、
家までの帰り道が、普段使ってる道だけじゃなくてちょっと遠回りだけど商店街を抜けて行く行き方があるとか、
冷蔵庫の中にビールだけじゃなくてワインもあるからどうしようかな、とか、

色々と選べるのは嬉しい。生活が豊かになった気さえする。

おそらく、基本的に選択の幅はないよりあったほうが良い。それは、人生においても同じだと思う。

少し前まで(未だに解消は仕切れていないが)、女性には結婚・出産のあと多くは専業主婦にほぼ自動的になっていたが、今では大変ではあるけれども仕事を続ける選択肢がある
出産はしたいと思っても出来ないこともままあるが、したくないという選択は以前より取りやすい気がする
結婚相手も自分で選ぶことの出来る人が多くなってきた
結婚自体もするかしないかある程度は決められる
仕事もある程度選べるし、学歴も、行く学校(能力に左右されることはあるが)も決められる

私達のおばあさん、ひいおばあさんぐらいの人たちは小学校程度を卒業したらあとは行かせてもらえない人たちが少なからずいたと聞いている。行きたくても行けなかったという。

それから比べたら、ほんとうに幸せな世の中。

でも、その分、一つ一つの岐路で考え、悩み、迷い、もがき苦しむ。学校で悩み、進路で迷い、就職活動でもがき苦しみ、職場で悩み、結婚で考え、出産で迷い、キャリアでもがき苦しむ。その間は、自分が幸せだ、なんて思うことが出来ない。現実逃避したくなることもある。

人間は、自分勝手だなぁ。私は、自分勝手。
新入社員を見て思うこと
最近、新入社員らしい人たちをあちこちで見かける。就職活動中の学生かもしれないが、スーツの襟にバッヂが光っていたり、色シャツやストライプなどの模様の入ったシャツなどを着ているのをみると、学生じゃないなと分かる。あと、顔つきも違って見える。学生は「これからどうなるんだろう」という不安が見え隠れするが、新入社員は「これからがんばるぞ」という心意気が見える。

私が社会人になって少しの間は毎日が単調で代わり映えしなく、また、日中ほとんどずっと建物の中にいることが耐えがたかった。仕事自体、自分の努力が目に見える形で表われないし、周りの人からも気付いてもらえていない気がした。「何のためにこんなことをしているんだろう」と何度考えたか分からない。仕事って、もっともっと挑戦のしがいがあって、日々自分の成長が感じられるものだと思っていた。努力がそのまま形になるのだと思っていた。

大学を卒業して10年。この間に分かったことは、学生時代の時間の感覚と社会人の時間の感覚が違うと言うこと。学生に比べて社会人は一分一秒を争うような生活を送り、遅刻などもってのほか。でも、その一方で時間の単位が長い。一つの仕事を2年、3年かけて行うこともあり、その場合には一日や一週間では全く進捗がないように見えるかもしれない。学生時代は数週間・数ヶ月ごとにテスト・試験があり、その結果で自分の理解度や習熟度を測ることが出来る。また、テストが終わったら詰め込んだ知識は失っても困らないことが多い。一方、社会人は自分の成長を測る機会がめったにない。3年ぐらい経って、気付いたら成長していたというのも珍しくない話だ。しかし、日々の生活の中で得たことは(習得していることに気付いていないことも多いが、実は様々なことを学んでいる)、日々活用しているし、活用するように期待されている。分かるだけじゃなくて、出来ることが重要だ。例えば、電話の応対一つとっても言えることである。一般的に「電話応対習熟度テスト」なんてやらない。最初にちょっと習って、あとは自分で少しずつできるようになっていくだけである。言葉遣いや状況に応じた言い方は知識として知っているだけでは不十分で、実際の電話口でいえなければ意味がない。ただ、電話に出られるようになっただけではだれもほめてくれないし、テストがないから努力のあとも見えない。自分自身、「まだまだだ」という気持ちがあると思う。でも、そのような小さなことの積み重ねが数年後の「成長」につながる。積み重なるのには時間がかかるものだ。

私自身、まだまだ半人前(どころか、やっと孵化したぐらい?)。これからも少しずつ亀の歩みで成長していければいいな、と思う。
自信を持つために
自信喪失中

自分に否定的になってしまうことが多いのは世の中の常なのか、謙虚な人が多いのか、はたまた自信を表出させることへの回避なのかは分からない。ただ、自分の能力や実力を必要以上に低く見積もる人がかなりいて、その多くは自分に自信がないという。

私自身、自分に足りないものばかりに目が行って、なかなか自分を高く評価できない。周囲の人に褒めてもらいたいなと思っても、自分から「すごいでしょ」とは言えないし。

でも、基本的には人はほめてくれない。大人になってしまうと叱られることもない代わりに人からほめられることがめっきり減る。逆に「すごいでしょ?」なんて言い回ろうものなら白い目で見られて、後ろ指差されるのがオチだ。

ほめられないでずっといると、ついつい他人(えてして自分より上位の人)と比べて見てしまう。そして「私はまだまだ」と落ち込む。これじゃ、悪い循環だ。

ステキな大人になるためには、自分を客観的に見、悪いところはもちろん、良いところもしっかり見つけることが出来て評価できる必要があるようだ。人にほめてもらえなくても自分で自分のことをほめることができ(言い訳ではなく)、自信につながれば成長することが出来るだろう。

自分の良いところは良いと認められるようになりたい。

話を聴くこと

2007年1月31日 お仕事
「つもり」じゃだめなのよねぇ

話を聴くのは意外に(?)難しい。話を聴くのがうまい人は、話し手がドンドン話したくなる人だ。(話して欲しくないからあまりちゃんと聴かないフリをするというのもあるけど…)

私なんか、ついつい話を聴きながら次に私が言うことを考えちゃったりする。話の内容から他の方向に思考が飛んでしまうこともあるし。

でも、ただ聴いていただけだと、相手が何か言った後に自分で何も言えなくなっちゃう気もする。だから、予め言うことを考えているんじゃないかな。でも、それが良いのか、と言うとよくないよね、となる。

ただ、相手の話を受けて、すぐに自分の意見や考えなどを言うことを求められているか、というとそうでもない気もする。つまり、相手が何か言っているときには聴くことに集中して、自分が何かを言うべきときに「なるほどねぇ」なんて言いつつ、自分の言うことを考え、少し間をおいてからおもむろに自分の意見を言うのである。うまく行けば、会話のタイミングは少しゆっくりになるが、会話自体は深くなると思う。

相手が「こいつ、おっそいな」と思わないとも限らないが…

同年代

2007年1月17日 お仕事
ジェネレーションギャップの日々だったのかな

同年代の同僚達と飲んだ。普段は一回り以上年上の同僚と飲むことが多く、いつでも下っ端だった。別に一番下でいることは嫌ではないし、得るものもたっくさんある。

でも、やっぱり、同年代はいいな。

同年代とは言っても社歴も年もバラバラなので友達のように気楽に何でも言えるわけじゃない。でもいつもと違って差が小さいからか、とっても楽しかった。(いつもが楽しくないわけでもないが、疲れることも多いので)

たまにはこういう飲み会もいいな。

リスク回避

2006年12月1日 お仕事
今この場で決めるのは不安だし、情報も不十分だからとりあえず保留にしよう

日常誰しも経験しているであろうこの手の「先延ばし」は、ある種のリスクを抱えているが、あまりこのリスクについて意識をしない。決めることへのリスクについては慎重であるのに。

先延ばしにすることでリスクを軽減しているかと言えば、そんなことはない。むしろ、リスクを大きくしている場合も多い。

例えば、職場の後輩のAさんが会社の社内情報を外部に漏らしているのではないかという疑問が沸いたとしよう。

そのとき私が取れる行動としては

(1)Aさんと直接話す
(2)誰かに相談する
(3)様子を見る

「先延ばし」は上の(3)にあてはまる。(1)と(2)は何らかの決断をしているが、(3)は今の時点では何も決めていない。おそらく(1)や(2)に含まれるリスクを考えれば、(3)という選択肢は妥当性が高いであろう。しかし、(3)にも(1)や(2)と同程度のリスクが含まれるということを意識して選択しているのであろうか?

もし、(3)を選択して様子を見ていたら、本当に問題が発覚したとしよう。立場にもよると思うが、それでもあなたに責任がないとはいえないはずだ。周囲の人は「なんで何もしなかったのか」とあなたに聞くであろうし、あなた自身も「何故あの時何もしなかったのか」と自分を責めかねない。

最近企業で起こっている不祥事はこのような「先延ばし」のリスクを考えなかったために起こっているものも少なくないような気がする。

どんなもんだろうか?

成長すること

2006年11月23日 お仕事
山あり谷あり

先日、かなりキャリアが上の同僚からいい話を聴いた。
ビジネスキャリアもほぼ終盤を迎えた彼女は若いころいっつもいっつも辛さと不安を抱えていたらしい。でも、少し慣れて辛さとか不安が解消されるとそれじゃ物足りなくなって新しいことを始めて、また辛さと不安の日々が来たそうな。

何でそんなマゾっ気のあることしてたのかと思いきや、今考えるとその辛いとか不安というのを経験すればするほど成長したなと思えるらしい。

周りを見渡してみたとき、輝いている人たちって、何年もかけて大変な思いをしてきたように見える。経験の重さが違うって言うのかな。

私なんか、まだ一回も辛さや不安が解消されたことない。まだ一山も越えてないって事なのね。

もう少し粘ってみよう。
自分のモチベーションを上げるのだって一苦労なのに、人のを上げなきゃならないなんて

仕事に対するモチベーションって、時と場合によって上がったり下がったりするのは普通だと思う。それに、一つの仕事を長いことしていると、「こなす」ための作業になってきて、モチベーション云々なんて関係なくなることもあるんじゃないかと思う。

一方、会社側は、従業員のモチベーションをぜひとも上げて、効率を上げたり、意見や提案がドンドン出てくる職場にしたいと考える。

それなら先にやることあるんじゃないの?という言葉が喉元まで出かかるが、「それを言っちゃぁ、おしめぇよ」と寅さんに言われてしまいそうなので敢えて言わない。

では、どうやったらモチベーションの低い人や「こなす」仕事をしている人の意識を変えられるんだろう?長年課題になってきていることで、みんな手探りなんだろう。私も手探り、始めます。

これが出来たら、「ノーベル仕事賞」とかもらえるかも。
♪一年生になったらっ♪

一年生って、楽しげな響きですよね。なんとなく。
でも、学生でも社会人でもそうだと思うんですが、か〜な〜りストレスの多い一年なのではないでしょうか?
5月病なんていうものも一年生特有ですし。

先日、とある会社の一年生社員の人たちと会いました。皆さん、結構辛そうでした。私は今、会社二社目で、ここでは二年目になりましたが、去年辛かったです。時差があるのか、一年目の最後のほうまで結構お気楽でしたが。。。
考えてみると、前の会社でも一年目のときは辛かったな。今思えばたいしたことなかったんだけど、でもそのときは真剣に悩んでました。

辛い思いを抱えている一年生の皆さん、「明けない夜はない」ということを信じてください。今の辛さを乗り越えると、ググッと成長します。

P.S.一年目過ぎたらもう辛いことない、ということじゃないですよ〜
夏が復活ですね〜

仕事をするとき、何のためにするのかという全体像や目的が分からないですることってありません? でも、これって、ものすご〜くやる気失います。

なぜこの仕事をするのか、この仕事をすることによって、どのようなことが期待されているのか、など教えるのって、時間かかるのかな。多少手間なのは分かるけど。

やっぱ、分かっててするのと分からないでするのだとモチベーションの高さが違ってきて、仕事への投入度合いも変わってくる。結果としていいものを作ろうっていう気にもなるし。

目的、教えてね。
仕事が出来るとみなされる人について考えた

++立場と役割を認識していること
++そしてその役割を果たすこと
++立場が変わると求められるものも変わるが、それに対しての柔軟性が高いこと
++自分の長所が短所になりうることや立場が変わると短所になりかねないことを理解し、変えることが出来ること

書いてはみたものの、自分からは程遠い存在だわ。これって、やっぱ、出来る人と出来ない人がいるよね。誰でもってもんじゃないよ。

(*)HYPO=ハイポテンシャル人材、将来性のある人材
昔の上司からメールが来ていた

企業文化が個人の行動傾向に影響を与えるということについてだった。
企業と個人、どっちが先でどっちが後かはニワトリとタマゴの関係のようなものかもしれないが、企業が古かったり大きかったりするとやはり企業が個人に与える影響は大きいのだろう。

一つの会社にずっといて、あるものを良しとする文化の中にい続けたら、それが「普通」になり、そのうち「常識」になるんだろう。そして、違う文化の中で働いている人なんかがその「常識」を持ち合わせていないと「あいつは変」になっちゃうんだろうな。

これは、企業にこだわらずに、どんな組織(家族単位から国家単位レベルとか、そのうち地球単位とかになるのかな)でもこういうものがあって、自分たちが正しいから正しくない考えをしている人を正そうとするのかもしれない。

それって、たんなる驕りにしか感じられないけどね。
poc

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